灰色漫画家 千里あくた先生のサイン会
ずっとファンだった漫画家の千里あくた先生のサイン会当日。私にとって一番の名作、『鉄色の雪』の三巻を手に会場に駆けつけた。ショッピングモール内にある普通の書店だ。こんな地味な街にまさか先生が来てくれるなんて!!
会場には十数人の男女が集まっていた。なんて言うか、全体的に、灰色だ。
予定時刻から五分程遅れて、スタッフに続き先生が現れた。
「私のファンなんて、どうしようもないド底辺の屑でしょう」
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「A・KU・TA!」
灰色のファンたちは妙な熱気に包まれている。
「ではただいまからサイン会を開始いたしますので、皆様方スタッフの指示に従い、順番に並んで下さい。尚、サイン会の後はトークショーを行いますので、よろしければ隣に用意した閲覧席へとおすすみ下さい」
「先生! 私はゴミです。生ゴミです!」
「私も捨てられたんです!」
「屑であることを罵って下さい!」
先生のため息が聞こえてくる。
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「私なんかに罵って欲しいだなんて、もう救いようがありません」
先生が言葉を吐き出すたび、歓声が飛ぶ。このどこまでもネガティブな方向に突き抜けていく空気が心地良い。
ようやく私の番が来た。
「こんなものにわざわざお金を使うなんて、本当に貴方はどうしようもない人です」
先生はわざと表紙の、主人公の顔に被せてサインをしてくれた。これはもう家宝だ。
私がここまで千里あくた先生にはまったのには訳があった。
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地元で職を得たものの、学生時代は青春に見放された生活をしていた私。精神的な資本が枯渇している事に否が応でも気づかされるが、気づいた時にはもう手遅れ。何をするにも後に残るのは劣等感のみ…そんな鬱々とした気分の時だった。先生の処女作『航海王☆事』に出会い解脱の解放感を味わった私は、そのままヌルヌルとあくたワールドに浸っていった。
そして今、気怠くそして優雅に、先生がトークショーの壇上に登壇した。
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「だる〜…あ、どーも。いや〜皆さんお忙しい中、あ、忙しくないか。だって皆さん暇だから来ているワケですよねぇ?」
「その通りです!」
一人のファンがそう答えると先生は半ば呆れ顔で、
「はぁ。全くしょうがないですねぇ。じゃ、今日はそんな暇で仕方ないあなた達に構ってあげますよ。」
「イエー!」
会場は大盛り上がり。そして、
「A・KU・TA!A・KU・TA!」
あくたコールに先生はやれやれといった表情。
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「こんなゴミ屑共に好かれるなんて、生まれてきたことを後悔しています。ああ死にたい。今死にたい」
私は衝撃を受けた。この後ろめたい気持ちを隠す必要はないんだ、って。それが初めてのサイン会のこと。
毎日が単調で孤独で、ずっとストレスを感じていた。
けれど、取り繕うなんて馬鹿のすること。そう教えてくれた先生のおかげで、そんな日々から解放されたのだ。
そんな訳で、以来先生のサイン会には必ず参加している。
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「なんでそんな酷いこと言うんですか!」
可愛らしい女の子の言葉に会場は静まる。
「なんで貴女のような人がここにいるんですか」
先生は面倒くさそうに顔を顰めた。
「私、あくた先生のファンなんです。なのに」あぁ、この子は先生の端麗な容姿に惹かれたんだ。
「帰りなさい。実に悲しいことに私はゴミ屑共と話し合う為にここに来ました。貴女みたいな宝石はお呼びじゃない」
会場は歓声と感動して啜り泣く声に包まれた。
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「私は、宝石なんかじゃありません!」
女の子は精一杯声を張り上げた。
「確かに先生のお話は後ろ向きで、そういう人達の励みになってきたことくらい、私も分かっています。でも、作家が絶望していいのは物語の中でだけなんです!」
「貴女は実にロマンチストだ」
来る場所を間違えたね、と先生はしごく面倒くさそうにいう。
いいえ!女の子は否定する。
「私は先生の物語に隠された宝石に惹かれたただの石ころです」
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「そして私の漫画はそれを磨く研磨材です」
先生は有無を言わさずそう答えた。
「磨かれ切って輝く術を覚えた貴方は、もう石ころとは呼べない。私は新しい石ころ共の相手で忙しいのです。だから貴方の様な宝石は」
唇を歪に曲げて、先生は笑った。
「キラキラと鬱陶しく光りながら、その辺で幸せにでもおなりなさい」
あと、と先生は付け足した。
「誰がいつ絶望したですって?くだらなすぎて死にそうです」
- 完 -
作品情報
灰色漫画家 千里あくた先生のサイン会
#4252
- リレー期間
-
2年4ヶ月